こころもちろん〜たるをしる

食べることと整理収納が趣味のHSP気味の面倒くさがり屋です。時々、筋疾患持ち息子君とのゆるりとした日常も綴ります。

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怖がりを克服したい!おばけが怖くない人になる考え方

はじめにお断りしておくのは

おばけが怖くない=霊なんていない、の記事ですが
なくなった人をぼうとくする意図はないです。

おばけが怖くて仕方がないのに、逃げも隠れもできない状況に追い込まれたとき
おばけが怖くない人になるための、考え方の一例です。

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おばけが怖いのに逃げ隠れもできない状況

おばけが怖いのに逃げ隠れもできない状況とは

例えば、すごい怖がりなのに

住んでいる部屋が事故物件だと判明、経済的理由ですぐに引っ越せない

とか

生活圏内で事故や事件が起こって、毎日霊的なものに怯えてしまう

とか、そんな感じです。

この夏、私はそんな状況に追い詰められました。
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極度に怖がりな自分

私は昔からものすごい怖がりです。

旅行の時は必ず部屋の額縁の裏に御札が貼っていないか確認するし(事故部屋だと額縁の裏に御札があるとよくいいますよね)

修学旅行が広島のビジネスホテルの一人部屋だったのですが、怖くて一睡もできませんでした。

リングを映画感に観に行った時は、ずっと下を向いていて、友人に「なんで観に来たの?」と呆れられました。

いままで霊的なものを見たことがないにもかかわらず、想像力が豊かすぎて必要以上に怯えてしまうのです。

そんな極度の怖がりの私が、この夏、のっぴきならない状況に直面しました。

怖がりがのっぴきならない状況に追い込まれて

その内容は文字にするのは憚られるので、ご想像にお任せしますが

あまりの出来事に、かなりショックを受けました。

考えても考えても受け入れがたい。
なぜ自分がこんな目に?
いや、私は何も失った訳ではないけどなぜうちの前で。
毎日毎日そのことばかりを考え、何をしていても手につかない始末。

新築に転居してまだ1年半ですが、引っ越しも考え、部屋探しもしました。

長男君の転校は考えられないので、学区内で。

しかし学区は駅チカなので、家賃は古い物件でも高い。

どう考えても今よりも住み心地が悪くなることは必須です。

考えているうちに引っ越しも、めんどうくさくなってきました。
怖がりではありますが、それ以上に面倒くさがりなのです。

それに引っ越しても、また同じような事が起こらないとも限らないし。

となると、今の家に住み続ける他に選択肢はないように思えます。


途方に暮れ、知恵袋で同じような境遇の人を探してみました。


いました。


確率は低いですが生きていれば遭遇する可能性のある出来事なのでしょう。

そんなことがあっても引っ越しせずに、暮らしている方がほとんどでした。

ふーむ。

こうなると発想の転換しかない。
おばけが怖くない人になろう。


毎日悶々としていているうちに、ある日ひらめいてしまったのです。

霊的なものが存在しないんじゃないか?と自分を納得させられる考え方を。


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本当にお化けがいるのであれば

あの時の私は、お化けが出てくる気がして仕方なかったので

ならば、遭遇したらそこから何か得ようと考えました。
 
お化けにあったら、いっそ
死後の世界のことを聞いてみようと思ったのです。

でもそう考え、おや?と思いました。

そんなことが出来るのなら、死後の世界の事なんか解明できているのではないか、と。

過去にそうしようとした人間は、少なからずいたはずです。 
 
本当にお化けがいるならば、この長い歴史の中で人間とコンタクトがとれるお化けも少なからずいたはすです。

しかし死後の世界のことは、未だ分かっていません。

と言うことはやはり、そんなことできないんじゃん。霊はいないんじゃん。とアッサリ気が楽になってしまったのです。
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その手のことには利害関係のにおいがする

だいたい、霊に関することには
お金や利害関係がつきまといます。

宗教だって、初めは人間の死への恐怖心を克服するためにできたのでしょうが、今では争いを生み時に弱いものから金銭を搾取しています。

霊的なものは人の心をコントロールするのにうってつけなのだと思います。

霊の存在を声高に叫ぶ人は、なんらかの利害関係者か、自分は特別だと思いたい自己顕示欲の強い人間ではないかと思います。

人間は自然の一部

それに人間の世界でどんなことがあろうとも、動植物にとってはそんなこと知ったことではないのです。

ぼんやりと公園を眺め、そう思いました。

その場でどんな凄惨な事件があっても、小鳥はいつもと同じくさえずるし、猫は呑気に散歩します。木々は風に吹かれ、丑三つ時、虫は綺麗な音色を聴かせてくれます。

人間は地球で大きな顔をして生きているけれど、自然の一部でしかない。

ならば、人間界のことにとらわれずに、自然に身を任せて生きたほうが気持ちも楽になる、そう思いました。

さいごに

こうして私は、40年付き合ってきた極度の怖がりを克服することができました。

正直、長年の考え方が変えられるとは思っていなかったので驚きです。

人間、にっちもさっちもいかない状況に追い込まれると、変われるものですね。

もしかしたらこれは、人間の防衛本能の一種なのかもしれません。

このまま怯え続けたら、精神的な病気になりそうでしたから。

ともあれ、怖がりな人生よりも、怖がりでない人生の方が楽だし、怖がりは子供にもうつると思うので、今回克服できて良かったです。

⬇このカンニング竹山さんの記事は、怖がり克服後見つけましたが、共感するところが多いです。
宇宙人はいても幽霊はいない! カンニング竹山「死んだ親も相方も出てこない」 (1/3) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)



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