こころもちろん〜たるをしる

食べることと整理収納が趣味のHSP気味の面倒くさがり屋です。時々、筋疾患持ち息子君とのゆるりとした日常も綴ります。

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先天性ミオパチー疑いの息子君との日々〜オランダへようこそとの出会い

友人と子供の話をしていると、時々不思議な感覚におそわれる事があります。

何といったら良いのかな。
同じ時代に同じ場所で同じくらいの歳の子供を育てているのに、第三者的な感覚。

少し離れた世界で、並走しているような感じです。

同じ世界のようで、何かが微妙に違う、かと言って嫌な感じはしない、そんな感覚です。

なぜなんでしょうか。

その答えを、ある詩の中にみつけました。

その詩が、タイトルにある「オランダへようこそ」です。
この詩を知ったのは、コウノドリ2というドラマでした。

オランダへようこそ、はセサミストリートの作家もされていたエミリー・パール・キングスレイさんが書かれたものです。
彼女はダウン症の息子さんのお母さんでもあり、「障がいのある子を育てるのってどんな感じ?」と、聞かれることがあったので、そんなユニークな経験をしたことがない人でも、それがどんな感じかわかるようにこの詩を作ったそうです。

全文です。

私はよく「障がいのある子を育てるのってどんな感じ?」と、聞かれることがあります。 そんな時私は、障がい児を育てるというユニークな経験をしたことがない人でも、それがどんな感じかわかるようにこんな話をします。

赤ちゃんの誕生を待つまでの間は、まるで、素敵な旅行の計画を立てるみたい。 例えば、旅先はイタリア。山ほどガイドブックを買いこみ、楽しい計画を立てる。コロシアム、ミケランジェロダビデ像、ベニスのゴンドラ。簡単なイタリア語も覚えるかもしれない。とてもワクワクします。

そして、何カ月も待ち望んだその日がついにやってきます。 荷物を詰め込んで、いよいよ出発。数時間後、あなたを乗せた飛行機が着陸。 そして、客室乗務員がやってきて、こう言うのです。「オランダへようこそ!」 「オランダ!?」 「オランダってどういうこと?? 私は、イタリア行の手続きをし、イタリアにいるはずなのに。ずっと、イタリアに行くことが夢だったのに」

でも、飛行計画は変更になり、飛行機はオランダに着陸したのです。あなたは、ここにいなくてはなりません。 ここで大切なことは、飢えや病気だらけの、こわくてよごれた嫌な場所に連れてこられたわけではないということ。 ただ、ちょっと「違う場所」だっただけ。

だから、あなたは新しいガイドブックを買いに行かなくちゃ。 それから、今まで知らなかった新しいことばを覚えないとね。 そうすればきっと、これまで会ったことのない人たちとの新しい出会いがあるはず。 ただ、ちょっと「違う場所」だっただけ。 イタリアよりもゆったりとした時間が流れ、イタリアのような華やかさはないかもしれない。 でも、しばらくそこにいて、呼吸をととのえて、まわりを見渡してみると、オランダには風車があり、チューリップが咲き、レンブラントの絵画だってあることに気付くはず。

でも、まわりの人たちは、イタリアに行ったり来たりしています。そして、そこで過ごす時間がどれだけ素晴らしいかを自慢するかもしれないのです。 きっと、あなたはこの先ずっと「私も、イタリアへ行くはずだった。そのつもりだったのに。」と、いうのでしょう。

心の痛みは決して、決して、消えることはありません。
だって、失った夢はあまりに大きすぎるから。

でも、イタリアに行けなかったことをいつまでも嘆いていたら、オランダならではの素晴らしさ、オランダにこそある愛しいものを、心から楽しむことはないでしょう。

出典︰Copyright(c) 2017-2018 Japan Down Syndrome Society. All Rights Reserved. Design by http://f-tpl.com



我が家の息子君はダウン症ではありませんが、産まれつき筋肉が弱く、先天性ミオパチーという病気の疑いがあります。

成長が諸々ごゆっくりで、同じ年の子らに比べるとできないことはたくさんあります。
運動面でも、知的な面でも。

生後4ヶ月の検診で、
「筋肉が柔らかいので成長がゆっくりかも」
と指摘されました。

でも私にとっては初めての子で、赤ちゃんがどんなものか分かっていなかったので、言葉そのままに
「ちょっと成長がゆっくりなのかー」くらいに受け止めていました。

しかし周りの赤ちゃんが「這えば立て」状態で、目まぐるしく成長していく中で、息子君はいつまで経ってもゴロゴロ寝たきりのまま。

さすがにおかしいと思い、市の福祉センターに相談しました。

その後発達外来〜筋肉専門の外来と紹介され、2回の入院検査を経て「先天性ミオパチー」という筋肉疾患の可能性を指摘されています。

今年六歳になる今では、運動面では小走りと20cmくらいから飛び降りること、鉄棒に10秒くらいぶら下がることができるようになりました。
知的な面では、なんとか10まで数えられるようになりましたし、ひらがなも読める数が増えました。

たまに
「よく受け入れられたね」
と言われます。

確かに、けっこうあっさり受け入れられたのはなぜだろう。
考えてみたところ、理由は入り口にあったように思います。

筋肉の病気かもしれないという話になった時に、まず最初に一番重い病気の可能性を調べることになりました。

徐々に筋肉が衰え、呼吸もできなくなり青年期まで生きられるか分からない病気です。

可能性は低いと言われましたが、検査結果を待つ1週間めまぐるしく思考は回転しました。

その時に

長く生きられないなら、息子君が
「自分は幸せだなあ、楽しいなぁ」
と思えるような人生を送れるように寄り添いたい。と思いました。

検査の結果、その病気ではないと分かりましたが、この時に思ったことは今も私の考え方の根底にあります。

もちろん、進行性の病気ではなさそうなこと、遅れはあるけど深刻な状態ではないことも、すっと受け入れられた理由だと思います。

本当にその重い病気だったとしたら平常心ではいられなかったとは思うし、すぐに受け入れることもできなかったと思いますが。


あとは、けいれんをよく起こすことも、息子くんをあるがままに受け入れるようになった理由の一つです。


けいれん、それは見たことのある人にしか分からない恐怖。

白目を向き泡を吹きながらガクガクとつっぱり、もうどうにかなってしまうのではないかと何度経験しても肝を冷やします。

けいれんがおさまった後も意識は朦朧とし
「もう生きてさえいてくれればいいから戻ってきて」
といつも祈るような気持ちです。

大抵の場合は予後は良好で、そんなに心配することはない、とも言われますがけいれんが長引くと脳に重い障害が残ることもあります。

そんな経験を何度もすると、とにかく健康で楽しい人生が送れればいいんじゃないか、と思えてしまうのです。


でも、病気と分かるまでの0歳児の時は精神的にドロドロでした。

あの時期は、どこへ行っても赤子の集まるところでは、成長の報告会みたいな感じになっていました。

そんな中で息子君の遅ればかりが気になり、場を素直に楽しむことができませんでした。

ある日突然成長がスピードアップするかも、と淡い期待を持ちながら周囲の赤ちゃんと比べては落ち込む日々。

人見知りで児童館嫌いな人はけっこういると聞きますが、私の場合人見知りプラス息子君の成長の遅さとダブルで児童館は苦行の場でした。

体感が不安定な息子君に対して、安全面で常に気を張っていなければなりませんでしたし、子供をほったらかしで話に興じているママ達に複雑な思いもありました。

病院に行きだし、検査を受けたりして、
「できないのには理由があるんだ」
と分かってからは、周りと比べる事も少なくなりそれによって心が落ち着いたように思います。

きっとこの時あたりから、私はオランダに来ていることに無意識に気がついていたんだと思います。

息子君の住む世界は、人と比べることに意味を持ちません。
自分のペースで歩き、それを認めてもらい、自己肯定感をもって生きていくことが大切に思います。

私が生まれてから歩いてきた世界は、優性思想の競争社会。
そこは優秀な人にとっては、達成感や満足感、そして優越感に溢れていて、世の中の発展に必要な感情が溢れているのかもしれません。

息子君に連れてきてもらった世界は、時間軸がゆっくりで、今までとは見える世界が違います。

そして詩にもあるように、今まで会うことのなかった人達に触れることができました。

病院では、親と離れ入院生活をしている小さな子ども達を見て、なんとも言えない気持ちになりました。

かわいそうと思うからかわいそうなんだと言われればそうですが、やはり小さな体で親と離れ、病気と戦っている姿を見ると運命の理不尽を感じずにはいられませんでした。

療育の場では、発達障害の子達に接する事が多いです。
自分の感情を抑えられなかったり、じっとしていられなかったり、周りに迷惑をかけているようで実は、一番大変なのはその子自身なんだと認識が変わりました。

長く生きていると、価値観を変えることは難しいように思えます。 

ただやはり「人生に関わる病気」くらいの大事件が起こると、価値観は変わるものです。

違う世界にて、違う世界の価値観をもってしては生きづらくて仕方がないですし。

生き物は、環境に順応し進化してきたと言われています。
人間には心があるので、もし今いる環境が「生きづらい」と感じたら、心もそれに合わせて変えてみると生きやすくなるかもしれません。


もしかして今イタリアだと思っているその場所は、オランダだったりするのかもしれませんから。

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