少し前になりますが、長男の療育手帳を取得しましたのでそのことを記事にしたいと思います。
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療育手帳とは
自治体によって呼び方が異なり、愛の手帳(東京都)、みどりの手帳(さいたま市)と呼ばれたりもします。
療育手帳を取得すると、福祉サービスを受けやすくなったり、金銭的な優遇も受けられることがあります。
療育手帳を取得しようと思ったきっかけ
療育手帳を取得しようと思ったのは、将来的な進学、就職のためです。
おそらく長男は高校は支援学校になると思うのですが、高校で支援学校に通うには療育手帳が必要となるらしいのです。
らしい、という曖昧な表現をしましたが、市役所の方に聞くと「受験資格にはないが、入学時の提出物には含まれる」という謎のルールがあるらしいのです(私の住む自治体では、ですが)。
支援学校に行けない!となるとなかなか困るので、早めに申請しておこう、と思った次第です。
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療育手帳は早く取るのがいいか
ところでこの療育手帳、周囲の障害児ママ意見では
「取りにくくなってきている」
「小さいうちだと取りやすい」
と言うものが多かったです。
しかし、今回市役所の方に聞くと
「年齢が進んだほうが、学習内容も難しくなるので(知的な)差が開いてくる」
「取得できない場合、数年後にまた申請すると取れる事も多い」
とのこと。
真逆ですね。
市役所の方は実務上の経験から仰っているので、そちらのほうが実情に近いのかな、という気はしますが、真相は謎です。
ただ、早めに取っておけば福祉サービスの恩恵を多く受けられるのは確かです。
それを狙って取得するのは不順な動機とも取られがちですが、わたし的には障害者は生きていく上で損をすることも多いと思うので使えるサービスは有り難く利用させて頂こう!という考えです。
ちなみに療育手帳、年齢に応じて何年かに一度更新があります。
その時に申請が通らない可能性もあるそうです。
療育手帳を取得するにあたって本人への説明は
今回一番悩んだのは、長男への説明でした。
あとは、療育手帳を取得すること=障害者となることです。
それを本人が望むのか。
取得にあたってのテストの説明は、
「今長男くんが、何ができて何が苦手なのかを知るためのテストみたいなことをするよ」
と伝えました。
長男くんが受けているのはずっと田中ビネー知能検査というテストです。
一番始めに受けたのは、かかりつけ医にて3歳くらいのときです。
その後、小学校入学前に一度受けました。
この検査、内容が外部にもれないように、親は一緒には受けられません。
ただ、小さい時は親と離れると不安になり、正しい結果が得られないかもしれない、ということで一緒に受けることもあります。
初めてのときは一緒に受けました。
今回は3回目です。
長男くんは2時間弱、音を上げることもなく頑張ったそうです。
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療育手帳を取得できないグレーゾーンとは
療育手帳がとりにくくなっている
と言われる理由のひとつに、グレーゾーンがあげられると思います。
近年発達障害の子供が増えていますが、発達障害の子供が必ずしも知能が低い、というわけでもないと思います。
ただ苦手な分野があることが多いので、やはり平均すると健常児よりは低くなる。
IQ75以下だと、生きづらくなってくるようです。
しかし療育手帳を取得できるのはIQ70以下です。
この70〜75の間が知的な面でのグレーゾーンと呼ばれます。
健常者に比べて、学習・判断能力が低く、生活しづらいのに療育手帳が取れない。
必要な人が取れないから、とりにくくなっている印象なのではないか、というのが私の考えです。
ただテストの結果、療育手帳が取得できなくても、発達障害であれば、代わりに精神障害者保健福祉手帳というものをもらうことができるそうです。
療育手帳より受けられる福祉サービスは少ないようですが、医師の診断書があれば取得できるそうなので、必要に応じ申請すると良い、と役所の方は話していました。
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療育手帳の長男への説明
長男君への説明は、届いた手帳をみせて
「これは、長男くんが生活するのを助けてくれるものだよ。たとえば今、支援学級では、普通学級よりも長男くんのペースで勉強とか生活ができてるでしょう。先生も色々助けてくれるし。
同じようにこれがあると、小学校を卒業しても長男くんのペースで勉強したり働いたり、しやすいのよ。」
と伝えました。
長男くんは
「ふーん、わかったー!」
と言っていました。
ついでに博物館とか割引になるよ、と言うと
「おー、ラッキー!」
と言っていました。軽っ。
手帳持ち=障害者になる
に関しては、どうしても私の考えや偏見みたいなものが出てしまうと思ったので今は説明するのはやめました。
療育手帳取得に関して思ったこと
今回改めて、自分の中に障害者への偏見、優性思想があることを思い知らされました。
私は小中高大学、職場、と周りに障害のある人がいない環境で育って来ました(今思えば発達障害の人は何人かいたように感じますが)。
関わりがないし、自ら関わろうともしなかったので、障害者に対する知識もなく偏見のほうが大きかったです。
それは下に見るとか、そうゆうことではなく、未知のものへの恐怖に近い感情だったと思います。
なので長男くんが生まれる前は、
「生まれてくる子供に障害があったら嫌だな。」
と漠然と思っていました。
長男くんがお腹の中にいるときに、目に異常があるかも、と言われた時はひどく動揺しました(結果、鼻涙管の閉塞だけで、産後すぐに開通処置をしてもらいました)。
それが長男くんが産まれて、なんだか成長が遅くて、一歳になる前には筋肉の病気の可能性が指摘されたりしたんですが、不思議とショックを受けませんでした。
今に至るまでも、病気の心配はしても
「長男くんが健常児だったらよかったのに」
と想ったことは一度もありません。
本人が周りに比べできることが少なくて、気にしている様子をみると複雑ではありますが。
そして長男くんを育てるなかで、身体障害や知的障害、発達障害の子供と関わることが多くなりました。
それでも、わたしのなかの障害者への偏見が完全に消えたかと聞かれたら、答えはノーなんですね。
日本に住んでいると、やはり
障害者=特別なもの、自分とは違うもの
という価値観ができるな、と思います。
自分にとって、長男君は長男君であって、「障害者」と特別な目で見ることはないのに、それが「知らない誰か」が障害者となると、自分とは違う存在として身構えてしまう。
手帳を持っていたりして、福祉サービスが受けられると生きやすくなるのに、サービスが受けられないと生きづらい人もいる。
社会が健常者のためにつくられているから、なのだなと思いました。
さいごに
とりあえず療育手帳の取得は完了です。
現在小学校4年生。
中学校選び、高校選び、そして就職。
息子に何ができるのか、どう生きるのが幸せなのか、まだまだ模索は続きます。