こころもちろん〜たるをしる

食べることと整理収納が趣味のHSP気味の面倒くさがり屋です。時々、筋疾患持ち息子君とのゆるりとした日常も綴ります。

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女が生きていくのに必要だけど無くしたら取り戻せないもの

だいぶ前のことですが、電車でとても印象的なご婦人達に会いました。

平日昼間、新宿発の埼京線
優先席に座っていらした二人のご婦人が、楽しそうに話していらっしゃいました。

お年の頃、70歳くらい。
さり気なくおしゃれな感じの服装。

私が気になったのは彼女たちの喋り方。
額を合わせるように近い距離で、時に小さくコロコロと笑いながら話すその様は、まるで女学生のようでした。

かわいいおばあちゃん
と、いうより
かわいい女性

そんな言葉がぴったりなご婦人たちでした。



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私は女が生きていく上で必要なもののひとつに
「可愛げ」
があると思います。

それは容姿のことではなく、可愛げ、の、「げ」が表すように「空気感」。

かと言って、ブリッコとは違う。

可愛げのある人は、その人がいると空気が「フワッ」とほぐれる感じがします。

ブリッコの場合、空気的に男性は「デレっ」とし女性は「イラッ」としますね。

まぁでも個人的には、ブリッコでも可愛げが無いよりはマシだと思いますが。

そしてこの可愛げ。
女性なら潜在的に持ち得ているものではないかと思うんです。

幼少期に芽生え少女期に花開き、20代で熟し、30台でもまぁいける。

ただし、無くなっていくものでもある・・・。

私もかつてはこの可愛げ、持っていました。ええ、確実に。

それが今は、どうも見当たらないのです。

いつ、どこで無くしたのか。

考えると、段階を追ってそうなっていったように思います。

30歳直前に結婚。

決して若くはありませんが、まだこのときは可愛いげがありました。

30歳前半、新婚の時期は過ぎたけれど、まだまだ可愛かった。

長男を出産。
あ、ここだ。
母になる過程で、旦那氏に対する可愛げが徐々に消滅。

しかし子供に対してはまだ可愛いママだったような気がします。


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次男出産。
長男が小学校に入学。
まだ長男に対しては可愛いママ・・・。

長男1年生の冬み。
旦那氏とおばあちゃんが、長男君に私のことを「ママではなくおかあさんと呼びなさい」(パパはパパのまま、なぜ)と命じ、呼称がママからおかあさんへ。

そう、ここです。
「おかあさん」と呼ばれ始めたら、なんだか自分の中ですんごい歳くった気がして(まぁ40だからそうなんだけど)、可愛げが恥ずかしくなってきて、長男くんにも「おかあさん」的に接するように。

今までのように、一緒にふざけることがなくなってきたのです。

そして長男くんの前での可愛げも、消滅しつつあります。

嗚呼、恨めしきおかあさん呼称。

可愛げ、一度失うと取り戻すのが本当に難しい(と思っているのは私だけ?)

いくつになっても可愛げは、あっていいし持ち続けることができるものです。

どうかまだ可愛げをお持ちの方、大切になさって下さい。

なくした時の覆水盆に帰らず感、ハンパないですから。

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